その人が体験している現実というのは、言ってみれば、その人だけの現実なのかもしれません。
私たちがこれが私の現実なのだというとき、さまざまに想像力を働かせてあれはこうに違いない、あの人はきっとこう考えているに違い、そういう想像をいろいろと組み合わせて自分の現実というものをつくっています。
自分が他人になることができない現実。
他人の考えは覗くことができない現実。
遠く離れたもの何かに隠れているものは直接見ることのできない現実。
そういう現実を考えると、私たちが自分の現実だと考えている世界は、ほぼほぼ自分の想像の世界だと言えます。
直接知ることのできない他人の考えや直接見ることのできない他の場所のことは想像で補うしかないからです。
もしテレパシーやテレポーテーションが可能で、分からないことがあれば他人の頭の中を覗けて、知らない場所があればそこに直接テレポーテーションして見ることができたなら、自分の現実というものはより真実に近づくとは思いますが、今の私たちにはテレパシーもテレポーテーションもありません。
いろいろと想像してそれが真実であると信じることしかできません。
本当にそれが真実であるかどうかは、その人になってみないとわからないし、直接その場にいないと分からないからです。
真実を直接知る方法を持たないので、あとはそれが真実であるだろうと信じることしかできません。
そしてその人が信じた世界がその人の現実になります。
人間としては、それ以外の現実は存在しないのです。
自分が想像してそれが真実だと信じている現実しか、その人には現実は存在しない。簡単に言えばそうなると思います。
信じたことがその人の現実になるのです。
恐れを信じる人は、自分の人生も恐れに満ちたものになります。
愛と光だけを信じる人は、人生の中で愛と光しか体験しません。(中略)
幻想というのは、あなたがその中にいるうちは現実です。
幻想の中にいるうちは、それはれっきとした現実なのです。
以上、ダリル アンカ (著), 関野 直行 (翻訳)『バシャールペーパーバック〈1〉ワクワクが人生の道標となる。 VOICE新書』P.20より引用させていただきました